高級でスノッブなお店に憧れたバブル期。
いささか、その空気感はさすがに今は感じない。
新しい街で、時に気取りそんな時間をたまに過ごすのも良いが
考え事をするとき、一人で過去を思い出すとき、新しい街はどこか真実味を失い
ハリボテに見える時はないだろうか?
自分にはよくあります。
そんな話は、過去の回「赤羽台+」さんでも話した記憶はあたらしい。
http://neokitakumin.seesaa.net/article/220223123.html街の記憶というのは、ハリボテではない、実存したものの記憶なのですね。
センチメンタリズムは基本良かざるものと言われる事も多いだろう。
けれど、情緒とか、叙情というもの、つまり人間のB面のようなものは
必要に思う。人間ですからね。
そんな気分の時に、「よりみち」による。一人呑みは時には必要な時間なのだ。

環七の下、平和橋下から観てもその赤提灯は怪しい光をにじませている。
暖簾をくぐると、昭和の遺物の雰囲気。
これは、内装という生温い物ではなく、
その存在する残留思念のようなものを漂わせているのだ。
それは、まさにタイムスリップのそれである。
筆者はアラフォーなのだが、
常連さんから観たら青二才もいいところだが、
どういうわけか、いつの間にか店内で一つの話題を分かち合っている。
不思議である。
かなり遠くからこられて、北区の居酒屋ディープコース
を回って、この店にやってくるお客さんはおおい。
お酒は、君万代
せいでの注文は良くない、店主の手間を見計らって
ここはそこに実在した確かな存在感が
癒しを与えてくれる。
居酒屋の原型を観る思い。
筆者の銀の個人的な思いを枚挙した。
北区の赤提灯の森は深い。
例によって詳しい場所は書かない。
たまたま出会って寄り道するとよい。
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posted by neokita at 00:46| 東京 ☁|
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